Zion Church
1. 教会とはキリストの十字架を信じ罪を悔い改め、聖霊に導かれて神様の御言葉に従って 生きる人達の共同体である。 キリストの言葉を引用するならば水と霊によって新生した人々 の集まりである。キリストの血と肉を食べ、新生した人々の集まりである。 人間の思想や哲学、宗教による集まりではない。
2. キリストの血は万物の命の根源者、在りて在る方が全人類に啓示された無限の愛の啓示 であり、永遠の命の啓示である。
1. キリストの産みの苦しみによって新生したクリスチャンに聖霊が内住される。 新生したクリスチャンは以前のように、この世の習わしやこの世の欲によって生きるの ではなく、キリストの御霊の教え・導きによって生きるようになる。これが新生のしるしで ある。 従って、キリストの血によって神の家族となった人々は世の交わりではなく、聖霊に よる愛(清潔、正しさ、真実、謙遜)の交わりによって神の栄光を現すようになる。
教会において最も重要な真理の確認・認識は、キリストの血と聖霊である。
1. 唯一、至高、自存の永遠なる神が教会(クリスチャン)に求められることはみことばへの従順である。 悪しきこの世にあって、教会がキリストの栄光を現わすことが出来るのは、この世と妥協する事なく、みことばに従順するときにおいてのみである。 この事は、教会がこの世と罪・肉に対して死ぬことを意味する。
2. キリストが「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て自分の十字架を負って私についてきなさい」と言われた言葉の意味である。
1. 神が教会に与えられた大いなる命令はキリストの福音をつたえることである。 この大事な命令をおろそかにするならば、教会(クリスチャン)は神の栄光を拝する事はない。そればかりか、衰退するしかないのである。 何故なら、みことばが伝えられずに人の魂が救いに至ることは不可能だからである。 みことばが伝えられずに神の国の成長はない。 それ故に、教会は命を尽くして時が良くても悪くても十字架に死なれたキリストを述べ伝えるのである。 神の愛に応える献身と従順、犠牲が必要である。
1. 教会はこの世と妥協しないが、隔離された世界ではない。 キリストが命を捨てて私たちに与えてくださった神の愛をもって社会に仕えていく共同体である。 やがて裏切るであろう弟子たちの足をも洗われたキリストの愛をもって私たちの行い・生活を通して隣人に仕えていく共同体である。 この事は、十字架の愛を体験し、聖霊の油注ぎと祈りがなければ、言葉ではやさしいが実際には非常に困難な事である。
2. イエス・キリストが語られた「良きサマリア人」のたとえ話は、教会にとって大きな教訓である。
1. 教会にとって永遠の希望はキリストの再臨の日である。 十字架と復活の信仰によって聖霊の満たしを受けると、必然的に多いなる力として与えられる真理が神の都である天のエルサレムに抱かれる希望である。 この希望の故に教会はこの世の様々な試練に耐えることができるのである。
2. 私を愛し、私の為に命を捨ててくださった永遠の神キリストのふところに抱かれる望みこそ、クリスチャンの勝利の力である。
当教会は単立のプロテスタント教会です。エホバの証人・ものみの塔や創価学会、モルモン教などの
諸団体とは一切関係ありません。